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2025年6月5日
入院25日目-2
我慢の限界
福祉センターの人に言われた。
皆んな、少しでも早く家に帰れるようにって動いてる。
普通、こんなに早くは動いてくれないよ。
今日、僕が来てるのも、市役所の彼をプッシュするためだし。
支援員さんだって、今の時点では、まだお金発生してないのに、いっぱい動いてくれてる。
ほんの少しでも、削れる時間は削ってる。
「あー、どうもありがとうございます」
普通がどうとか、お金が発生してないとか言われても知らないし。
どんな手順を踏まないといけないかなんて知らないし。
じゃあ、お金払えばいいわけですか?
何も言い返してないし、泣いてしまったから言い返せもしなかったけど。
大した情報も入ってこないで、どんどん退院までの日にちだけが延びていく。
いつになるかわからないのを、ただ待つしかできない。
嚥下造影をしたあの日、夕方には家にいるはずだった。
入院となってすぐは、2-3日で帰れると思っていた。
肺炎が治れば、帰れると思っていた。
早ければ来週中に退院、とか言われたこともあった。
この前、母親と先生が話をした時には、目標は2週間と聞いていた。
それが昨日いきなり、2つの病院を行ったり来たりして、準備が整うのを待つと言われた。
ヘルパーさん10人とか、それだけで軽く1ヶ月とか経つ。
一体、いつになったら帰れるのか。
もういい加減、カーテンの中の生活はストレスでしかなくなってきた。
「具体的に、いつになったら帰れるんですか?」
「うーん、具体的な日にちと言われると難しいんだけど」
「はっきりとした日にちじゃなくても、ざっくりこれくらいとか。何かないと・・」
「何か指標が欲しいよね」
「そうです。何もなく、ただ待てって言われても」
「まずは、吸引器が届くこと。そしたら、ヘルパーさん1人連れてきて、練習が始められる」
これで初めて、少し先が見えた。
まずは、吸引器が届くこと。
ヘルパーさんに指導をできるのは、訪看のBさんだけらしい。
吸引器が届いたら、できる限り都合をつけて、私のところに来てくれるそうだ。
「今、叫びたいことは?」
「家に帰りたい。それだけです」
ただ家に帰る。
たったそれだけのことが、なかなかできないことが悔しい。
話し合いが終わって少しして、今日の日勤看護師さんが、PTさんを連れてやってきた。
リクライニングの車椅子に乗る練習をしよう、と。
PTさんが、リハ室や病棟にある、できるだけ倒せる車椅子を探してきてくれることになった。
「リクライニングの車椅子に乗れるようになったら、一緒にお散歩行きましょう」
と看護師さん。
この病院には、庭があるらしい。
外界の美味しいご飯、スイーツ情報を探して、教えてくれるPTさん。
天気とか気温とかを教えてくれて、私の笑顔が好きや、と言ってくれる掃除のおじさん。
毎日何度もやってきて、体をキレイにしてくれるお風呂のプロ。
まわりの人間ではなく、私のことを一番に考えてくれるOTさん。
以前の状態に戻すことを諦めていない先生。
用事がなくても、担当じゃなくても、チームが違っても、顔を出してくれる看護師さんたち。
私のまわりには、優しい人たちがいる。
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