2025年10月5日
最近、生命倫理の本をよく読む。
体外受精や代理出産から、臓器移植や脳死判定、延命治療や安楽死に関することまで。
そのような場面で、本人の意志が尊重されるのか。
人が人の生き死にを決めていいのか。
その決定を下さなければならない家族の精神的負担。
医療が発達したからこそ出てきた、あらゆる問題。
その中でも、私が特に興味を持つのは、延命治療。
胃ろうや栄養点滴、人工呼吸器などによって、命を永らえる。
透析も延命治療のひとつと言える。
SNSで、高齢者の延命治療についての意見をよく見かける。
「本人は延命して欲しくないと言っていたけど、私は生きていて欲しいから、延命治療をお願いしました」
「家族で話し合っていて、延命はしないことにしています」
「自分がそうなったら、延命治療は絶対拒否する」
「胃ろうしてまで生きたくない」
高齢者の延命治療には、反対意見が多い印象。
でも、その人が高齢者ではなかったらどうなんだろう?
働き盛りの人や子供だったら?
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人の生き死に、延命治療に関わってきたであろう看護師さんやヘルパーさんに聞いてみた。
話を聞いていると、人によって延命治療の解釈が違う気がする。
私のような状態(胃ろうと高栄養点滴で生きているけど、比較的元気)も延命治療だ。
それらをやめれば、生きていくことができないから。
もう治療の手立てがなく、最後の時間を少し延ばすためにする処置が延命だ。
何らかの病気等で、末期の状態の人に施す胃ろうや人工呼吸器など。
自分自身が、延命治療を受けないと生きられない、と言われたらどうする?
今の状況でそうなった場合の話。
「自分は、延命治療を受けたくない」
「子供のために、延命するかも」
延命治療の解釈にもよる。
本人の意識がはっきりしているなら。
「それによって、やりたいことをする時間ができるなら、するかもしれない」
自分の親が、延命治療を受けないと生きられない、と言われたらどうする?
多くの答えは、「本人の意志を尊重する」。
もちろんこれは、親が意志表示をできる場合、していた場合。
親本人が延命を拒否していても、生きていて欲しいから延命治療をする、と言っている人もいた。
逆に、「延命治療は絶対しない」という人もいた。
ちなみに、これは一般的にあることとして。
親の延命治療を望む人の中には、お金目的の人も、少なからずいるそうだ。
たくさんの管に繋がれていようが、苦しんでいようが関係ない。
もう散々がんばってきたんだから、そろそろ休ませてあげよう、という感覚にはならないらしい。
ただ、お金を手に入れるための道具。
だから、90歳を過ぎたような人にでも、胃ろうを造ったりするそうだ。
そして、お見舞いには来ない。
じゃあ、自分の子供がそうなったら?
この答えには、全員が「どんな形でも生きてて欲しい」と言った。
たとえ、もう目が覚めることがないとしても。
たくさんの管に繋がれて、ただ生かされているだけ、という状態になったとしても。
「えー、本人は苦しく辛くて、解放して欲しいと思ってるかもしれないのに?」
「そうかもしれないけど、どんな形でも生きてて欲しい」
母親とは、そういうものなのだろうか。
私自身は、長生きに興味はない。
でも、気管切開に対して、それをしないと終わるならしてくれ、と先生に言っていた。
だからきっと、延命治療を望んでいると言えるんだろうなぁ。
胃ろうにポート、気切して人工呼吸器とかつけちゃったら、もうなかなか人生を終わらせてくれないことになる。
そうなると、気切も考えものだなぁ。
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