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救急車。2

自分のこと(過去の話)

2023年1月31日

Cさんが救急車を呼んでくれた。


それから少しして、救急車がやってきた。救急隊員がやってきた。

 

まず、救急隊の人が声をかけてきた。

その時私は、あまり目が開いていなかったように思う。

確か、Cさんに体を支えられていた。

 


救急隊の人たちは、Cさんがやったのと同じように、血中酸素濃度、血圧、体温等を調べていた。近くにいた私のパートナーとCさんから色々と聞いていた。

「本人と上手くコミュニケーションが取れなくて」と話していた。

確かに、瞬きや目を逸らすことで、前回よりコミュニケーションが取れつつあったけど、Yes Noでは答えられない時もあったし、目が開かないとそもそも使えない。


少し体温が高いのと、何度もむせて咳き込んでいるのを見て、コロナも疑われていた。

「なんで体が動かないんだろう?」

「○○病院(私の通っている病院)は、最高峰なんだけど」

そんなことを言っていた。

「あ、目が開いた!」

とかそんな言葉も聞こえた。

 


私の通う病院が受け入れてくれるとのことで、その病院に運ぶことが決まった。うちの家は、玄関を開けたら階段で、2階部分に住んでいる。だから救急隊は、私を取手のついたシートのようなものに乗せて、階段を降りた。あとから聞いた話では、Cさんも一緒になって運んでくれたとか。

 

救急車の中は、少しひんやりしていた。車の揺れで、たまに咳き込んだ。救急車には、私のパートナーも一緒に乗って、車の中でも色々と聞かれていた。ちなみに、Cさんは車で後ろからついてきた。途中で追いつかなくなったらしいけど。

さすが救急車。赤信号でも進むし、反対車線も走っていたらしい。

私は何も見えなかったから、よくわからなかった。

 

病院についた。

何人かが出迎えてくれた。

「ここ、どこかわかりますかー?○○病院ですよー」という声が聞こえていた。

 


どこかの部屋に運ばれ、心電図やら血圧やら。コロナとインフルの検査、採血もされた。聞こえるか、しゃべれるか、手を握れるか、などと聞かれた。


何人かの医師がいて、カルテの情報を見てる人、話を聞きに行く人、意識の確認したり、腱反射診てたり。

 
コロナとインフルの陰性が出てから部屋を移動。

胸部X線も撮られた。

少し体を起こしたような、こんな体勢でも撮れるんだなぁ。

 

そのうち自分自身も落ち着いてきた。動かされない限り、むせたりもせず、目もしっかり開いてきた。

ずっと周りの様子を見ていた。

ただ、体が動かず、しゃべることもできなかった。

 

しばらくして、神経内科の主治医がやってきた。

「これが前に言ってたやつですね。ちょっと、ご家族と話してきます」

と言って去っていった。

 
少し離れたところで、救急の医師たちが雑談していた。

「ICU?」

「いや、それはないでしょ。急変の可能性もないし」

そんな会話が聞こえた。主治医の判断待ちという感じだった。

 


しばらくして、主治医が戻ってきた。細かいことは覚えてないけど、

「これは神経内科の問題ではない。精神科に行きましょう」

と言っていたのは覚えている。

「キャンセルしたかったらキャンセルしてもいいけど、とりあえず予約を取っておかないといけないので、私から予約を入れておきます」と。


全てを精神的な問題で片付けられるんだ。

確かに今回の件は、精神的な問題だったんだと思う。

でも、何とも言えない気持ちになった。

 

主治医の「今日は帰りましょう」の一言で、他の医師たちも動き出した。

私を車椅子に乗せ、病院玄関まで連れて行く。この時には、何とか車椅子に座っていられるくらいには、体幹が安定していた。

時々ガタンと振動がくると咳き込む。

救急の医師と神経内科の主治医が2人で不思議がっていた。

「時々あるこれは何だろう?しゃっくりかな?」

これは、しゃっくりではない。

 


なんとか車に乗せてもらい、Cさんの運転で帰宅。

車の中での2人の会話。

「やっぱ入院にならなくてよかった。入院したらしたで、色々されただろうし。」

「落ち着いてきたら家のほうが安心できるよね。」

 

家の階段は、パートナーがおんぶして上がってくれた。そして、ソファに座らせてくれた。


ジュースを飲ませてくれる。やっぱ彼より、こういう介助に慣れてるCさんの方が上手く飲めた。飲ませ方のコツとかあるんだなぁと思う。

 

この頃、その日初めて時計を見た。夜9時頃。

そして、この辺りから体が少しずつ動き出した。少し首が動き、少し右手が動き。

朝は何時に目が覚めたかわからないけど、約12時間動かなかったんだなと知る。

12時間ってさすがにきついよね。

自分でも、病院行ったからといって何とかなるとは思っていなかった。

でも、体的にも気持ち的にも限界だった。

助けて欲しいと思ってしまった。

 

Cさん、トイレの心配をしてくれた。

そういえば忘れてた。

前日の夜に行って以来、一度も尿意をもよおすことなくこの時間だった。

 

Cさんが帰宅後少しして、声が出るようになってきた。この時、夜の10時頃。


体が動くようになってきて、ふと気づいた。左右の鎖骨の下に何かついてる。丸いパッチみたいなやつ。

これは病院で、心電図とるために貼ったやつだろうなぁ。

左胸の下にももう一つ。貼ったまま帰してよかったのか。

てか、胸部X線、このまま撮ってたってことになるけど大丈夫だったのか。。

 

何ともしんどい1日だった。


人生で何度か「救急車呼びますか?」と聞かれたことはある。でも、頑なに断ってきた。幸い、完全に意識を失っていなかったのもあるけど。


でも、ついに呼んじゃったなー。

 

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